阪神大震災から24年
夢半ばで逝ってしまった人達を思うと
今でも悔しさがこみあげてきます。
犠牲になられた方のご冥福をお祈りいたします。
24年前の今日
全てが終ったかと思いました。
阪神大震災で私の自宅周辺はグチャグチャになりました。
私の家の中も家具は倒れ
割れた食器が散乱し、ひっくり返っていましたが
幸い、家族は全員無事てした。
半年後に自宅の基礎が
ダメになっていることが判明
結局は自宅の建て直しを強いられ
二重ローンの返済は今も続いていますが・・・
地震直後には分かりませんでした。
停電と断水、ガスも止まり
どうする事も出来ず
被災の全貌は皆目分らずでした。
夜が明けて明るくなってから
取りあえず支店のサロンの状態を確認しようと
自転車でサロンに向かいました。
向かう道すがら
頭から血を流した人に何人も出会い
倒壊した家でふさがれた道路を
必死でサロンに向かいました。
一番ひどい神戸の長田からは
少し離れているものの
私のご近所でも住宅が全壊したり
亡くなった方があったり・・・
支店のサロン周辺も
ビルから水が噴き出していたり
ドキドキしながらサロンに向かいました。
真っ暗なサロンの中は
器材や道具が散乱しており
何からすれば良いか分らない状態でした。
あれから24年も経ったんですねっ!
今では、何事もなかったような日常を
送っていますが、
あの時は何とかしようと無我夢中でした。
もう一回やれと言われたら~
もう嫌です(笑)
散乱したサロン内の片づけをしながら
考えたことは
『早く営業をしなきゃ~
その為にどうすれば良いのか?』
以前、あるお客様から教えられたのが
【商売人は何があっても店を開けろ!】
自分で商売している者は
誰にも頼られへん~
商売しないとご飯が食べられない
家族にご飯を食べさせるためには
店を開けておくんや!
って言う事を教えてくれた人がいました。
その人は、北新地で商売をしていた
やり手ママさんでした。
既に引退されて
優雅に老後を送っておられましたが
沢山の事を教えてくださいました。
私はサロンを再開するために
必死で考えてやったことは
ガスをプロパンに変える事
電気や水はどうする事も出来ないけど
都市ガスがダメなら、
プロパンにすれば行けるんじゃないか?
すぐにプロパンガスの業者を調べて
自転車で向かい設置を頼みました。
同じことを考える商売人がいたようで
プロパンの器具は残り少なく
在庫は最後の3個でした。
そのうちの二つを自宅サロンと
支店に設置お願いしたのです。
電気の復旧は早く、
ラッキーな事に私のサロンは
水道もすぐに復旧して
1週間後にはサロンを再開する事が出来ました。
今思えば
あのやり手ママさんから教えられた一言
【商売人は何があっても店を開けろ!】
あの一言を思いだして行動できたのが良かった
当時36歳で、本当に未熟だった私が
行動出来たのはあのやり手ママのお陰です。
沢山の経験から出た言葉
今だからこそ重さが良くわかります。
私も長くこの業界に居させてもらって
沢山の経験をしました。
大変な事も多かったけど
楽しい事ももっと多い!!
多くの人に支えられて
とても楽しくやっています。
私の経験も人の役に立てたらと
記事や、メルマガを書いたり
勉強会をやっています。
是非会いに来てください。
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一緒に楽しく勉強しましょう(^O^)/
スグに行動、沢山行動ですよっ!
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